伯耆國式内社 宗形神社 鳥取県米子市

2016年1月2日、鳥取県米子市の式内社、宗形(むなかた)神社に参拝しました。

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1000年以上昔からある古社

1000年以上前に書かれた延喜式神名帳に記載される伯耆國式内社6社のひとつ(伯耆國會見郡 胷(胸)形神社)で、伯耆國第三鎮守と称されていたそうです。

神社の裏山の宗像古墳群では3つの前方後円墳と22の円墳が見つかっており、貴重な古代遺跡も多数出土しています。

往古は、現社地の北三丁余の宮の谷という所に鎮座して本宮と呼ばれていました。

ちなみに隣の出雲國式内社は100社以上あり、因幡國も30社あるのですが、伯耆國は全国最低クラスの6社しかありません。

なぜ6社しかないのか、とても気になりますが、なぜだかわかりません。

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宗形神社

鳥取県米子市宗形298

御祭神

田心姫命(たぎりひめのみこと)、湍津姫命(たきつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

相殿

経津主命 武甕槌命 日本武命 上筒男命 中筒男命 底筒男命
誉田別命 伊弉諾命 伊弉册命 大日孁命 素盞嗚命 大國主命

合祀

倉稲魂命 天児屋根命 天太玉命 猿田彦命 鈿女命
阿蘇彦命 阿蘇姫命 保食命 月読命

祭神がやたらと多いのは、近隣の六社を合祀して相殿に祀り、さらに、境外にあった摂末社を合祀した結果。

伯耆民談記によると、天稚彦命が祭神であるという説がありますが、これは、神話で天稚彦命が胸に返り矢を受けて死んだ故事により、その高胸坂と胸形の字の類似によるものだそうです。

由緒

・ 創建年代は不詳であるが、往古宗像氏族が、祖先神である宗像三女神 を奉じて九州からこの地に来着し、これを斉祀したのが起源と伝えられている。

・ 平安初期の斉衡三年(八五六)に宗形の神に神階五位上が増叙され た旨、文徳実録(日本六国史の一)に所載されている。

・ 醍醐天皇の延長五年(九二七)に勅撰された延喜式神祇の巻に、伯 耆国六社(会見郡では胸形神社と大神山神社)の一として、国幣小社に 列格されている。

・ 戦国時代には武将の崇敬篤く、尼子晴久は、弘治二年(一五五六) に、宮ノ谷の山頂に鎮座していた社を現在地に遷して新しく社殿を 建立し、社領三百石を寄進した。吉川元春(毛利元就の二男)は、更 に社領一二〇石を加増寄進すると共に、太刀及び兜(典型的桃形の 逸品で社宝として所蔵)を奉納した。中村伯耆守は、社殿修造用 材百本を寄進した。

・ 蕃政の世には、歴代の因伯藩主の崇敬篤く、当社を蕃の祈願所に指 定し、制礼の建立や池田家々紋を幕・提灯に使用方を裁許し、池田慶徳は自ら社参祈願を行った。

・ 社名は、宗形(文徳実録)、胸形(延喜式)、宗像(明治初年まで)、宗形 (明治四年以降)と変遷を重ねて現在に至る。

一、御神徳

延喜式内郷社宗形神社は、平安の古より国史、文献に名を連ね、 千数百年の歴史を有する当地方の古社であり、会見郡の鎮守宗像 庄の大社として尊崇され、海陸交通・厄除開運の守護神として御 神威高く、又虫封じの神としても霊験顕著でその名が高い。

一、神社と古墳

神社を中心として周辺に密集分布する宗像古墳は、県下有数の 古墳群であるが、これは当地方が、古くから神社との関り合いの中で 生成発展して来たことを物語るものであり、往古の社会・文化探求 上で重要遺跡として斯界の注目を集めている。

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龍の彫り物は彩色されていて精巧である。

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本殿は変形大社造りで、とても立派だ。

国道沿いにあるが、とても静かでよい神社です。

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