5/31(日)日吉津村複合施設ヴィレステひえづオープニングセレモニー

日吉津村に複合施設がオープンします!

2015年5月31日(日)鳥取県で一番ちいさい村、日吉津村に複合施設「ヴィレステひえづ」のオープニングセレモニーが行われます。

「ヴィレステ」とは、『村の駅』ヴィレッジステーションをもじっています。

日吉津村には駅はありませんが、この施設が、日常的に世代を超えていろいろな人が往来し、出会いが生まれる場所という期待が込められています。

00003601-51h9Sf

写真:内観イメージ図

図書館やホールに会議室など

ヴィレステひえづは、ステージのあるホール、交流スペース、会議室やキッチンスタジオ、図書館などさまざまな機能を持っています。

オープニングアトラクションに鳥取荒神神楽研究会

この日は日吉津村民を中心に、事前に申込みをした方のためのオープニングセレモニーと内覧会となっています。

午前9時半より鳥取荒神神楽研究会神楽団もお祝いの神楽をさせていただきます。

kaguken

詳しくは日吉津村役場にお問い合わせください!

ヴィレステひえづの詳細については日吉津村ホームページをご覧下さい。

⇒日吉津村役場複合施設ホームページ

 日吉津村役場

〒689-3553鳥取県西伯郡日吉津村大字日吉津872-15

■Tel 0859-27-0211(代表)
■Fax 0859-27-0903

E-mail:hiezu@chukai.ne.jp

 

 

伯耆二宮 大神山神社奥宮 下山神社 弁財天社 金門【動画あり】

2015年5月16日(日)鳥取荒神神楽研究会会長徳林亜美と真也メンバーは大神山神社奥宮に行きました。

09

大山隠岐国立公園の大山寺地区のもっとも奥に、大神山神社奥宮があります。

10

参道までの坂もかなりの距離があります。

朝早ければ車で参道手前の駐車場まで行くことができます。

自然石でできた参道は日本一の長さ

06

鳥居をくぐると奥宮までは自然石でできた参道が続きます。

この参道は自然石でできたものとしては日本一の長さがあります。

11

逆さ門をくぐるともうすぐ大神山神社奥宮です。

05

石垣に囲まれた階段の上に巨大な社が見えてきました。

04

国造りの大神を祀る

主祭神=大己貴命(=大国主神)
配祀=速須佐之男命、多紀理毘売神、宗像三女神 他

01

大山は、出雲風土記に伯耆の国の「大神岳」として記載されている。
そして、この「大神岳」は、別に「大神山」ともいわれ、この「大神山」の神が省略されて、平安時代には、「大山」になったといわれている。

中古には山麓と山腹に社殿を造営し、それぞれ冬宮と夏宮にと称した。

冬宮はのちに二宮大明神と称し、延宝年間には現在の米子市尾高に社殿を移したが、夏宮は社僧によって本地仏が置かれて大山権現となり、明治の神仏分離令により今の大神山神社奥宮となった。

現社殿は寛政8年に焼失し、文化2年(1805)に再建されたもの。

大神山神社奥宮の本殿・拝殿・幣殿、そして末社下山神社の本殿・拝殿・幣殿は国の重要文化財に指定されている。

12

特徴的な翼廊

13

左右に伸びる長大な廊下は、翼を広げているように見えることから翼廊(よくろう)と呼ばれている。

02

03

この日は春季例大祭の神楽奉納の打ち合わせで、高橋神職に指導を受けた。

08

右側から見た本殿。

末社 下山神社

shimoyama04

大神山神社奥宮の左手側には、末社下山神社が鎮座する。

shimoyama01

下山神社由緒略記

祭神 下山大明神(渡邉源五郎照政命)

元徳二年(1330年)大神山神社を尊信した備中郡司 渡邉日向守一子 照政公は参拝の帰路、奇過に遇い不慮の最後を遂げ、人々これを憐れみ大山下山の地に子祠を建て下山神社と呼んだが数々の霊験あり、後、夢のお告げにより、此の地に奉遷したもので、多くの武将の信仰があり現在の社殿は代々の信仰が篤かった石州津和野の領主 亀井隠岐守公が文化二年(1805年)に再建されたもので重要文化財に指定されて居ます。

御神徳

勝運・除災 病気平癒

shimoyama03

shimoyama02

三女神を祀る弁財天社

benten02

benten03

benten01

賽の河原と金門

この日は、参道途中から右手に入ったところにある賽の河原と金門に寄ることにした。

kinmon01

大神山神社奥宮からは近い。

kinmon07

賽の河原とは、小児が死んでから赴き、苦を受けるところです。冥途の三途の河原で小児の霊が石を拾って、父母供養のため塔をつくろうとすると、大鬼が来て崩す。

小児の霊は泣きながら、また塔をつくるが、また崩される。

これを繰り返すうちに地蔵菩薩が現れて救う、と言われています。

河原には近くはもちろん遠方からも子供を亡くした親が、人知れずここに来て、わが子をしのびながら、一つ一つ河原の石を積み重ねてつくった石の塔が多くあり、また両岸には地蔵菩薩が安置されています。

kinmon09

賽の河原からは大山が見える。

ここから見る大山は米子市方面から見える富士山型ではなく、南アルプスのような壁が荒々しく迫ってくる。

kinmon05

kinmon06

正面の荒々しい山は大山です。

最初の大山は富士山のようなコニーデ型をしていましたが、その後、溶岩が盛り上がり、つり鐘のようなトロイデ壁になったと考えられます。

この溶岩は、角せん安山岩という、もろく崩れやすい岩石で、今もたえず崩れて不安定な土砂を生産しています。

この土砂による土石流の発生を抑え、下流への被害を防止するため多くの治山ダムが築かれています。

kinmon08

賽の河原から下方には金門と呼ばれる巨岩がある。

kinmon04

通行の邪魔になる大岩を二羽の鳥が飛んできて手伝って取り除いたという。

kinmon03

僧兵が荒業の一つとしてこの岩から飛んだと伝わるが、飛んだら確実に死ぬと思う。

見所満載の動画レポート

徳林亜美レポーターと、真也メンバーによる動画レポートをご覧下さい。

レポーター:徳林亜美