島根県安来市広瀬 富田八幡宮 武内神社 勝日神社【神社レポート】

2015年5月4日、島根県安来市広瀬の富田八幡宮に行きました。

飯梨川沿いの丘に鎮座する古社

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鳥居をくぐって長い階段を登ると、立派な神門があり、そしてさらに苔むした参道が続く。

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この参道は鎮守の森に囲まれ、とても雰囲気がある。

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そして楼門をくぐると狛犬が迎えてくれる。

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そして流れ造りの富田八幡宮社殿がある。

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天井には鳴き龍が!

拝殿の天井には、鳴き龍と呼ばれる彫り物がある。

この下で拍手をすると天井に跳ね返って不思議な音がする。

これは、ここに立っている本人にしか聞こえない。

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本殿には珍しい彫り物が!

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すごい迫力である。

月山山頂の勝日高守神社が起源

富田八幡宮の境内には、左手に武内神社、そして右奥に勝日神社がある。

勝日神社は、出雲国風土記に「加豆比乃社」とある神社。

出雲神話で、国造りの途中で少彦名命が常世に帰ってしまい、途方にくれて落ち込んでいる大国主命のもとに、海を照らしながらやってきた光は「我は幸魂・奇魂の神」と告げ、大国主命は立ち直って国造りを成し遂げる。

その地が、川向こうにある月山山頂であり、そこに大国主幸魂神を祀った。

それが勝日高守神社であり、後の世に、平家の悪七兵衛景清が富田城を築くために、現在地に遷座した。

その後に八幡信仰が盛んになり、八幡宮が本社となった。

天日鷲命の子孫にして杵築佐陀から独立する勢力

富田八幡宮宮司の竹矢氏は天日鷲命の子孫であり現在は41代目となる。

広瀬藩の時代には、日御碕、須佐、美保などの神社と並ぶ社格を有して富田荘十三ヶ村の社家を支配し、四家の社人を従えて杵築佐陀(出雲大社・佐太神社)の支配外に独立し、歴代叙位叙爵の家格を有していた。

富田八幡宮 旧県社

祭神 誉田別尊 神功皇后 仁徳天皇
例祭 一〇月一五日 四月十五日
神紋 左三つ巴 本殿 流造 一二坪余
境内 九一四九坪 末社 八社
宝物 能面(宝生流)、大身槍(山中鹿之助所持)、白羽の矢(景清の使用せしもの)
氏子 四〇〇戸 崇敬者 三六二〇人
神事と芸能 神輿渡御祭 一〇月一五日

由緒沿革

欽明天皇の三一年創立、元は月山に 祀られてあったが、保元年間平氏の将悪七 兵衛景清が白羽の矢を放ち霊地を定め奉遷し た。爾来尼子、毛利、吉川、松平等富田城の 鎮守、祈願所、領内大氏神として崇敬篤く社 領寄進、社殿造営をした。明治五年郷社、昭 和二年県社に昇格す。

動画でご覧下さい!

 

「島根県安来市広瀬 富田八幡宮 武内神社 勝日神社【神社レポート】」への2件のフィードバック

  1.  そこだけかよ。都辨志呂神社も良いが富田八幡宮のとなりにある、須賀神社こそスサノオの須賀の宮であったという説が強い。

  2. こういった神社が何故あるのかを日本史というものを掌に載せてつぶさに観察したいものである。この神社は、出雲では珍しい菊の御紋があり天皇家と深いかかわりがありそうであるが、もっぱら尼子などの月山話終わってしまう。やはり須賀神社の不思議に心動かされる。

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