下蚊屋荒神神楽保存会明神社オオクニヌシノカミの神歌の考察

下蚊帳荒神神楽保存会明神社に伝わる国譲りの神楽のオオクニヌシノカミのセリフです。

出雲なる青垣山のふもとより神風吹けば涼しかるらん

さても神前に舞出す神はいずこいかなる神とや思うらん
これなるは豊葦原は中津の国の神司
大国主の命にて候

天地の広き荒野を田となして
くわのみほこや露の玉よね

さてこれより中津の国かまど巡りをなすにて候

さてかまど巡りをなす見るに我に適たうものは一人もなし
これよりはここに集まるうじこに
福をさずけばやと存じ候

大国は万宝袋のひもといて
多くのうぶこに福をさずくる

さて、うじこに福をさずけし後は
我はこの所においてしばしの間休息なし申さん

出雲なる青垣山とはどこなのか?

さて、冒頭の青垣山とはどこなのでしょうか?

出雲国風土記に見る青垣山

郡家正北1里100歩。所造天下大神”大穴持命”、為伐八十神、造城。故、云「城名樋」也 - 風土記

大国主命の若い頃の名前は大穴持命(オオナムチ・オオナムジ)というが、八十神を倒すための砦を作った場所がこの城名樋山(きなひやま)である。

郡家正南8里。”所造天下大神命” 詔「八十神 者、不置 青垣山裏。」詔而、追撥時、此處 追次坐。故、云「来次」 - 風土記

八十神たちを青垣を巡らせた美しいこの地にはおかないといって、ここにやってきて追いついたので「来次(きすき)」という。

大和青垣の山

大和平野から見える山々は青い垣根のように囲まれているという意味で、生駒や金剛葛城山、平城丘陵、飛鳥の山々、山辺の山々のすべてが青垣山とされている。

山辺の道周辺が大和青垣国定公園に指定されたこともあり、大和平野西側の山地を青垣山と定義するのが一般的。

青垣山(仰画山)と呼ばれる代表的な山として、奈良県桜井市三輪の三輪山があるが、三諸山、神山、タカクラ山とも呼ばれ、大神神社(おおみわじんじゃ)がある。

古くは大神大物主神社、通称で三輪明神と呼ばれ、社殿がなく拝殿と神門だけがある原初的神社である。

豊葦原の中津の国とは日本の国土を表す

豊葦原の中津の国(とよあしはらのなかつのくに)は、葦原中国(あしはらのなかつくに)として、日本神話において高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界、すなわち日本の国土のことです。

日本書記には「豊葦原千五百秋瑞穂國」という記載があります。

スサノオの息子である大国主命がスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)や医薬などの道をおしえて葦原中国の国作りを完成させたと言われています。

神司は神祇官

神司(かんつかさ、かんづかさ、かむづかさ、かみつかさ)は古代律令制の神祇官です。神に仕える人や神社の祭事を行う人、神官のことで、「豊葦原の中津の国の神司」とは、大国主命は出雲を中心として長野県まで、当時の日本でもっとも大きな国の神祇官であると名乗っていることになります。

中国から律令制を導入したときに政治を司る太政官と神事を司る神祇官が置かれるのですが、大国主命は一人で政治と神事の両方を治めていたのかもしれません。

「下蚊屋荒神神楽保存会明神社オオクニヌシノカミの神歌の考察」への1件のフィードバック

  1. 初めてコメントさせていただきます。
    このブログを紹介いただきましたので早速拝見させていただきました。
    大国主命の神歌ですね。
    最初の「出雲なる青垣山・・・」ですが、現在この歌を詠む備中神楽社中はほとんどありません。
    知る限りで唯一、新見市神郷町の新郷神明社のみです。しかもその神歌は、
    「青垣山の麓より神風吹けば涼しかるらん」です。
    また、
    「天地の広き荒野を田となして・・・」の歌は昔は歌われていたのですが、現在はほとんどの社中で歌われなくなっています。成羽を中心とする神楽では、この歌が幕内の歌でした。

    今まで下蚊屋の神楽をあまり勉強していなかったので、ぜひ勉強させていただきます。

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